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パレルモ、ヴッパタール

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私の好きな写真。

書いていなかったからなかったことのように、自分にも思われるのだけど、昨年の東京国際映画祭で『ピナ 踊り続ける命』が上映されたとき、ヴィム・ヴェンダースが来た。生きていれば、ヴェンダースの前でヴェンダースの映画(それもピナの)を観ることもあるんだなーとへんな感慨があった。私は好きな作品の作者に電話をかけたいと思うタイプでは無いのだけれど、ヴェンダースも生きているし、よしよし、がんばるか、と思えるような出来事だったのは確か。
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ヴェンダースの配偶者であるドナータも来た。絶対いるだろうなと思って密かに楽しみにしていたら、はじまるずいぶん前から客席を動きまわって知り合いに挨拶したり、快活に嬉しそうにしていて、いい気持ちになった。ヴェンダースとドナータの夫婦関係は存じあげないけれど、ふたりの揃っている写真をみると、いつもいい気持ちになる。

『ピナ』に関しては、ピナ・バウシュの映画を撮るという、荷が重すぎる大事業に、挙手するとしたらこれはもうヴェンダースしかいないと確信していたので、企画を聞いた時から、それがどんなものでも観る。私が観届ける。と勝手な使命感をふつふつとたぎらせていた。

ピナがどんなひとだったか、それはピナの舞台を観れば分かることだし、ダンサーたちが語る言葉や、踊るときの想いだって共有している。それがピナの作ったものだからだ。
ダンスを映画にするという試みも、3Dという手法が可能にしたのか、わからないままだった。
ただ、それでも、誰かがやらなければならなかった。ピナのことを、ヴッパタールを、踊ることを、いま、映画にしないとならなかった。
ここに、いなくなったひとのことを想う。それを愚直なまでに自分のやるべきこととして引き受けたヴェンダースのことを思うと、同時代をこのひとが生きていてよかったなあと思ったということだ。

舞台挨拶で、ヴェンダースは、「このあと福島に行く」と言っていた。
思えば9.11のあと、まっさきにこのことを映画にしたのも、ヴェンダースだった。あのときも、おいおい、それはアメリカ人がやんないとでしょう・・と目頭を熱くしたのだけれど、福島の映画をヴェンダースが作ったら、日本人としてどんな想いでそれを観ることになるだろう。

今日、新作の『パレルモ・シューティング』を観たのだけど、これがまた、いま、これを、撮ったということに感動してしまう、見終わって、誰もいないのに左右を見回して「えっ?どうだった?どうだった?」と聞いてしまいたくなる映画だった。
まぬけと思われても構わない、というような愚直さ。誰がまぬけと思おうか。と両手を張って擁護したいのだけれど、どこに非難しているひとがいるのかもわからない。
いま、「現在を生きる」ことを真正面から問いかける映画を作ったという、やるんだよ感に、本当に腰が抜けるほどありがたいと思った。
他の人がヴェンダースをどう思っているか、聞いたことがないからわからないけれど、私にとっては、同時代人として、腰が抜けるほどありがたい、YO!BRO!的な人物と言ったらいいものか、適切な表現が思いつかないわけですが、とにかくそのようなことを表明しておきたいと強く思って筆をとった次第です。
『パレルモ・シューティング』のパレルモよりも、ピナ・バウシュの『パレルモ・パレルモ』のパレルモの方が断然好きだけれど・・・。

そういえば、フラヴィアを演じたジョヴァンナ・メッツォジョルノがパスカル・オジェに見えて仕方なかったのは私だけだろうか。
『北の橋』でパスカル・オジェは、バイクに乗って、パリの街をへんてこなすごろくみたいな地図にして、謎を解いていった。『パレルモ・シューティング』のジョヴァンナ・メッツォジョルノはパレルモという都市をさまよいながら死神に追われる写真家と、偶然出会い、ミニバイクでさっそうと移動する。
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こちらがパスカル・オジェ。若くして亡くなってしまった。お母様のビュル・オジェはこの間イオセリアーニの新作『汽車はふたたび故郷へ』で確認しましたけれど、相変わらず可憐でした。
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こちらが『パレルモ・シューティング』のジョヴァンナ・メッツォジョルノ。
by chimakibora | 2012-05-27 03:28 | 観る・聴く