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私と踊って


ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『私と踊って』。
さきほど新宿文化センターで観てきた。楽日にもう一度観に行くので今日は感じたことなど。

いまとても穏やかな気持ち。
いつも観た後、どきどきして、頬が火照って、たいへんなものをもらってしまっていてもたってもいられない、臓腑に行き渡らせるのに時間がかかる、そんな時間を過ごすのだけど。

プログラムを買って、ドミニク・メルシーがロベルト・シュトゥルムと共に芸術監督に就任したことを知る。
カーテンコール、ピナに置いて去られたのは私だけじゃないんだ、と知る。おずおずと、でも希望を持って差し出しているダンサーたちの顔つき。
やっぱり、「偉大な才能をなくした」というよりは、「大好きなひとがいなくなった」という気持ちです。ピナがいなくなって、本当に信頼して、そのひとが生きているだけで大丈夫だと思えるひとがいなくなってしまった。
なんていうときもちわるいかもしれない。でも、観ればわかってもらえると思う。ひととひとが、作品を通じて、交感するということ。それがときに、直接的な抱擁より強く深く伝わるってこと。

ドミニクは出てこなかった。
ドミニクの顔を一目見たら、なにかそこにすがりつける場所を見てあんしんしていたと思う。
でもいま、もしドミニクがそこに、ピナの場所にすっぽりおさまっていたら、それは違うと思ったと思う。
ヴッパタール舞踊団は、もうすでに、そこに別の監督がおさまることができない性質のものだということ、それを、他でもないドミニクが知らないわけがない。ピナと人生を分かち合ったひとが、最もピナ的でないこと(功名心・不調和)をしなかった、そこにすごく救われた。

全一幕2時間あまりのこの演目、ものすごくストレートというか、作品としての純度がものすごく高い、これを今回とは、しんどい選択だったな・・・と思う。選択したのはピナではあるけれど。
『私と踊って』は、ほとんど、愛についてのすべてがそこに凝縮していた。いえ、それはいつもそうなんですけど、いつもの洗練されたハイパーピースではなく、ひとりの女性を通して、男女の愛にクローズアップしていたのです。初演は1977年、舞踊団過渡期で、まだダンサーたちへの質問という方式で作品を作り始めたばかりの作品ということもあって、ヴッパタール的なものが、ぎゅっとしてる。象徴的な作品でした。

でもねえ、ぜんぜん日本語しゃべってなかった!(いままで観たことがあるもの・・7作は『春の祭典』以外全編日本語だった)。
私はいつもエンピツとメモ帳持って、逐一言葉を書き取るんだけど、ぜんぜん必要なかった。
「どこかで 会ったこと なーい?」
「じゃまだ!」
「どけ!」
「わたし こいしたわ」
「しんじられない!」
これくらい。
でも、この作品のもうひとつの主役でもある”民謡”がドイツという国とひとびとの歴史と個人史と不可分であるのだからその選択は間違っていなかったと、あの、ダンサーの発する日本語がとても好きな私でもそう思いました。

だいたい一階席が総スタンディングオベーションという印象が強かったのだけれど、ぜんぜん立ち上がっているひとがいなかった。うわあって立ち上がってしまう、そんな雰囲気ではなかった。
けれどしずかに、また、ここからはじめよう。そんな気持ちをダンサーたちと分かち合った気がした。
パンフレットに、ヴィム・ヴェンダースがピナへのラヴレターをのせています。彼の撮る『ピナ』が楽しみ。2011年公開とのこと。
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by chimakibora | 2010-06-09 23:58 | 観る・聴く